3, 31, 2010徳島レーシングのこと・下・一枚のジャージ

…お待たせしました。

徳島レーシング・アーカイブのお時間です。上・中ときて、「下はいつできるんすか!」「下の巻はなしだったというオチですか!」とご期待くださっているコアなファンの皆さまへ壮大なスケールでお贈りする、過去から未来へと続くスペクタクルなファンタジー・以下略です。

これがその

これがその

中3だったか高1だったか、まあそのぐらい前のことになりますが、徳島レーシングに出入りしだした頃のこと。

お値段は刺繍込みで1万円だったと記憶しています。

当時、レーサーシャツなどは子どもにしてみれば高嶺の花。ナカニシサイクルに吊ってあるものを「は〜…」と黒人少年@トランペットinショーケースな状態で見てるだけ〜、な「本格的競技機材」だったのでして。「胸元は体温調節のため開閉可能で、背中には長距離走行のため補給食用のポケットがついている」などとサ○スポで読もうものなら「おおおおおおおおお!なんか特別♪」と思っちゃうのである。

すでにレーパンは1枚持っていたものの、お父さんに「お尻にな、皮が貼ってあってな、痛くならんのよな、なあなあ」とおねだりしてようやく買ってもらった「エアロ生地じゃない」代物。さらに脚が細いものだからレーパンなのにぶかぶかで、裾幅をお母さんに詰めてもらっていたという、まあ昔話ですなあ、とにかくそんなある日。

みんなでジャージ作るけん、一緒にいかが?とお声がかかるのである。

ええええええええ〜レーサーシャツですかあ!あの、前にチャックが付いてるんでしょうか、背中にポケットがある、アレですかああああ〜!しかも、TOKUSHIMAですかあああああああああ!

そんな本格的なもの、僕が着ていいんだろうか、というより買ってもらえるかしら?イチマンエン、いや、ここは頼み込むに迷いなどあってはならん!お父さん、勉強がんばりますから一つお願いが!

そして、ゲット。

あのね、ウチの子がベイブレードをゲットするのとは訳が違うよ?なんといっても、かっこいい徳島レーシングのオニイサンたちが着ているのと同じものを着れるのだ。これを着ると速く走れるかもしれない。だって、それまではせいぜいチームウェアといっても柄が一緒なだけだったり、チーム名が入っていたとして学校名なのであって、それがいきなり名門TOKUSHIMAを背負うのである。

しかも

しかも

しかもそのベースは「あの」イエロージャージですよ。この頃まだ、マイヨジョーヌという呼び方はない。時はまさにベルナール・イノーの全盛期。世界で一番速い男が身につける戦闘服に自分が袖を通すというのは恐れ多いというより、…まあ単純に「ひゃっほう♪」ですね。こどもだから怖いものを知りません。

それでそれからしばらく、どこへ行くにも「ユニホーム」である。他に服もってないんか?と思われていたに違いなく、しかしそもそもこれがあれば他に何か欲しいとは露とも思わず、おそらく着て寝たこともあったかもしれない。そう言えば、できたばかりの徳島そごうにも着ていったような気もしてきた。今思えば、ちょっと変わった子だったかもしれん。

だけどつまるところ、チームのものを身につけるということが、どれほど嬉しく誇り高いことか、そして身につける以上は名誉を守る覚悟がいるか、というようなことを僕はこの一着のジャージを通して学んだように思います。

その後、時代に合わせて徳島レーシングのジャージも代を重ねるのですが、次のモデルは刺繍ではなく「徳島RC」というフェルトのアイロンプリントに変わります。のり付きのフェルト生地に型を写しハサミでカットしナカニシのお母さん がアイロンでくっつけてくれる、と。で、このハサミで切るのが、手先が器用であった僕の役目でした。思い起こせば、実はこれが中昭和レーシングサービスのルーツだったと言えるでしょう。

それからというもの、エアロ生地や高機能と呼ばれる素材が次々と登場し、プリント技術が進化したりして、今や5着そろえば丸ごとオリジナルでチームジャージが作れるようになってしまい、ときおり弊社にもデザインのご注文をいただけたりする訳であります。ありがとうございます。いや〜、なんか便利になったものですな。

しかし、しかしですよ。そんな誰でも彼でもオリジナルを作れる時代だからこそ、夕焼け眉山クラブのジャージだけは特別であって、「このジャージを着れば速く走れるかも」とか「かっこいいオニイサン達が着てるアレを僕も着てみたい」と誰かに思ってもらえるように、あの頃に抱いた特別な思い (と 膨大な手間ひま) を込めるのです。まあほんとは自分が着たいだけなのですが。でもそれで、もしかして本当に誰かがそのような上を向いた気持ちで、さあ!と走り出してくれるのだとすれば、それはデザイナー冥利に尽きると思うのです。

ところでこの黄色いジャージですが、当時は国外レースの情報などほとんどなく、アンリデグランジェのサインは「みの」というひらがなだと思っていましたし、MIKOって誰かの彼女ですか?とか、ルコックのマークに「ナニ、このトット?」などと考え込んでいたものです。

さらにこのジャージは実はパールイズミ製でして、タグには「アクリル70%毛30%清水欽治商店」と書いてあります。ルコックのマーク入りマイヨジョーヌが実はパールイズミ製、というのはなかなかシュールでいいのではないでしょうか。現在では復刻などなかなか難しそうな組み合わせですね。一体、どのようなライセンスで製造されていたのか、非常に気になる一着であります。よって今後も、永久保存ということで(笑)

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