11, 5, 2009夕焼け眉山クラブ黎明期

勝負服・後ろ

勝負服・後ろ

勝負服・前

勝負服・前

まあそんでその、当初は徳島レーシングとして美容と健康のため、などと三味線を弾きながら乗っていたのですが。

2008年のスズカが終わってしばらくした頃に、あっちゃんが「もっと目立つジャージがいい」というようなくだりがありまして。どうも大集団になると他にも黄色っぽいのを見かけるそう。ほんなら、単独アタックで逃げたらわ?というお約束どおりの突っ込みは初手から織込み済みということで。

でもしかし天下の徳島レーシングのものをコロコロ変える訳にもいかんよね、とヒソヒソ話をしていた頃だったと思います。が、なんせ記憶が。とにかく、別の何かとして新ジャージを作るテはないか?そんな妄想が頭を支配していた某日。

練習帰りに寄ったナカニシサイクルさんでマエストロがいわく「日に日に夕方に眉山に登られて、なんというか、夕焼け眉山クラブって感じですね!」…ということでここに、実にあっさり夕焼け眉山クラブは誕生に至る。

そうと決まれば俺たちは今日から早速、夕焼け眉山クラブだ!そして季節は秋、まもなくサイクルモード大阪。のちに株式会社ホナッテアッチャンガとなる訳ですが、あっちゃんからのご希望で、サイクルモードに着ていくためだけに、しかも2着だけ作ったポロシャツを公開。ジャージは来春にあればヨシとして。

すべてアクリル絵具による手描きです。手間がかかりました。たぶん二度と作りません。激レアです。

胸にロゴでNRS=中昭和レーシングサービスとスペシ屋ライズ堂が載っているので、この2社はすでに創業していたと思われます。

てか、クラブは倶楽部になっとるし。眉山のシルエットもこんなんだったか。なつかしいというより、いかにいい加減な沿革であるか、よくわかります。

思い出した、スペシ屋ライズ堂に関しては、この年 (2008年) の夏に名入りの団扇を製作している (しかもSPECIALIZED社 Mike Sinyard社長へのお土産として) ので、間違いのないところ。たしか、Mike がJapanese Air Conditionerと喜んでくれたと聞いて、めでたく公認ブランドになったー!などというかなり無理な解釈をした夏でした。

話をもとい。しかし、このあと調子に乗った夕焼け眉山クラブは、徳島レーシングからのスピンオフを図ります。そして2009年、徳島レーシング・夕焼け眉山クラブとしてなんとなく正式に発足し、まわりの皆さんを巻き込みながら今日に至る。

来年にかけては、また新しい動きもあるということで、さらなる進化があるやなしや。

Comments are closed.